多様性ミニマリストぴの子の日記

多様性ミニマリストの日常日記です

暗い過去を乗り越えて


私は、幼少期から生きてく実感もなければ、生きていたくなかった。毒親から育てられネグレクトや虐待を受けてきた。両親はアルコールと薬物依存症だった。ろれつが回らない、喜怒哀楽がおかしくなっていて、話すことさえできない親。いつも、喧嘩が絶えない毎日私は何処にも居場所が無かった。


生きていきたくなかった。周りの人間も信じる事が出来なくなって言った。どうせ、何か言っても助けてなんかくれない。そんな曲がった性格にもなっていった。夜毎日の様に両親はスナックで過ごす、私も嫌だったけどついて行くしかなかった。カラオケの爆音が鳴り響く、タバコばかり吸っていて煙で前が見えない。甲高い笑い声で笑い合う酔っ払って理性が失われて調子のいいことばかり嘘つきばかり。そんな周りが大嫌いだった。そんな生活ばかりで学校もろくに行けず、行きたいとはあまり思わなかったけど勉強はしたかった。私は小学5年生まで自分の名前がきちんと書けていなかった。計算が出来ず買い物すらも経験があまり無かった。買い物も大嫌いでレジに行くのも辛くて辛くて仕方なかった。買えた後も涙が出る始末。


人が、怖くなっていた。母も父から離れた時期もあった。だけど、母は周りの環境に馴染めないせいか、精神を患い統合失調症になってしまった。私はどんどん具合を悪くなる母を見て辛く、悲しかった。急に笑ったり怒ったり壁に話しかける姿を観て小学生の私にはどうする事も出来なかった。周りが気にかけて病院に行く事になって、入院が決まって、私は施設に入る事になった。でも、そこでもいじめばかりで辛すぎた。母が3ヶ月で退院できたことを知ると母が住んでるばしょが何処だか知っていたので、直ぐに施設を脱走した。こんな地獄を見てるより母親のそばでいるほうがまだいいと思った。母は私を引っ叩いたけど、施設に戻そうとはしなかった。その後も辛い日々が続いていたけど、なんとか生きていけた。学校ではイジメばかりだったけど居場所は何処にも無かったけど、自殺しないですんだ。


長々と話をしてしまいましたが、幼少期はこんな感じで辛い辛い日々でした。

今考えれば、辛い日々だったからなんとか乗り越えられるのかなと思います。

長々と観覧して頂きありがとうございます。

また、暗い話になるときもあるかもですが、お付き合いよろしくお願いします!


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